【Komachiの開店と閉店】
前記事にも書いたが、大久保Komachiの前身は、歌舞伎町区役所通りにあった「小部屋」だ。
「小部屋」という店を作ったのは、Komachiママではなく、同じ歌舞伎町の職安通りに「プライス」を作ったのと同じヒトミ嬢。
2007年、その「小部屋」をヒトミ嬢から購入して小部屋のママになったのが、後の(旧)Komachiママだ。(以降、Komachiママと記載)
※「小部屋」は開店当初「プラス」という店名であったが、紛らわしいので「小部屋」で統一表記する。
ところが、「小部屋」には、2008年に、警察が2度入る。そのため、2008年の6月に閉店。
同じママが2008年8月に大久保に開いたのが「Komachi」だ。
そういう意味で、大久保にあるものの、「Komachi」は、歌舞伎町エステの流れをくむ店(いわゆる職安系)だ。
※「職安系」とは、歌舞伎町近辺で、密着施術があって、若い嬢が中心のエステ店の当時のあだ名。本記事では、以降、このような店を「職安系」と表記する。
なお、Komachiのマッサージルームは8部屋あり、この手の店としては規模が大きい店であるのも特徴だった。
以降9年間、Komachiママは、大久保の地で営業を続けた。
しかし今回、2017年8月15日に、ついに力尽きて、売却。オーナーチェンジとなった。
売却価格は、700万(推定)と言われている。
新オーナー(新Komachiママ)についての詳しい情報は、俺はまだつかんでいない。
【Komachiの特徴①若い嬢中心の店だった】
Komachiとはどのような店だったのか。
まず一番の特徴は、「若い嬢中心」だったことだ。
少なくとも、店ができてしばらくはそうだった。
基本、20代か、見た目20代に見える嬢しかいなかった。
しかしながら、「若い嬢中心」というのは、Komachiができた当初は、「特徴」というべきものでもなかった。
なぜなら、前の記事にも書いたように、Komachiが開店した2008年~2010年というのは、お隣歌舞伎町でエステ全盛時代であり、若い子が中心の職安系の店などはいて捨てるほどあったからだ。
ところが、2010年のピークを境に、歌舞伎町の職安系エステ店は衰退をたどり、2014年にはほぼ壊滅。
近辺では、ただひとりKomachiだけが大久保の地で生き残った。
その結果、「Komachi」は、新宿大久保近辺で、「若い嬢中心」という特徴を持つ数少ない店のひとつとなったのだ。
【Komachiの特徴②サービスのばらつきが大きい店だった】
では、Koamchiの抜きなどのサービスはどうだったか。
開店した当初は、Komachiママは嬢に対して、性的サービスを厳しく禁じた。
その理由は、警察の摘発にあって閉店を余儀なくされた「小部屋」の教訓だ。
「小部屋」では、嬢全員、ママの指示のもと、何らかの性的サービスを行っていた。
しかも、客が小部屋に電話して、「抜きのサービスありますか?」と尋ねると、
ママが、「ありますよ。」と答えたという。
これでは、警察が入るのも当たり前だ・・・という都市伝説すら存在していた。
俺自身は、真偽のほどは知らないが。
そのことを教訓にしたため・・・要は、警察の摘発を恐れたため・・・開店した当初は、抜きなどのサービスは一切なかった。
しかし、それも開店当初のみ。
ほとぼりが醒めたころから、嬢の一部は性的サービスを始めることになる。
ただし、Komachiママ等の経営陣は、嬢に対して、性的サービスの指示は(少なくとも表向きは)一切していなかったと言われている。
Komachiママは、嬢に、サービスしろともするなとも、何も言わなかったようだ。
つまり、サービスをするのもしないのも、嬢に任せていた。
そのために、Komachiでは、嬢によって、サービスに大きな格差が生じた。
その結果、Komachiには、さまざまな嬢が存在することになる。
最後までのサービスをする嬢もいた。
手で抜くサービスをする嬢もいた。
サービスはしなかったが、客が多少身体を触るのはオッケーという嬢もいた。
またある嬢は、一切の性的サービスもなければ、身体に触れさせることすらしなかった。
極端に潔癖で真面目なマッサージ嬢も在籍していたのだ。
当然ながら、同じ嬢であっても、客によってサービスしたりしなかったり、というケースも存在した。
また、こういったサービスに対して、チップを要求する嬢もいれば、特に要求しない嬢もいた。
というように、嬢によって客によって、サービス格差の大きい店だった。
それがKomachiのもう一つの特徴だった。
しかしこれも、実は、2010年ころの歌舞伎町職安系エステ店では普通のことであり、もともとはKoamchiだけの特徴でもなんでもなかった。
そういった特徴を持つ店が、歌舞伎町から次々と姿を消したことによって、時代とともに少数派になり、結果、Komachiの特徴と言えるくらいに様変わりしてきたのはなんとも不思議な現象に感じられる。
というわけで、この店では、真面目な嬢が真面目なマッサージをしているその隣で、壁一つ隔てて、客と嬢が声を潜めてエッチをしている、そんな光景が最近まで存在した。
それも、職安系の流れをくむKomachiならではだったと言えよう。
【Komachiの閉店理由】
閉店理由は何かというと、ズバリ、客が入っていなかったからだ。
なぜ客が入らなかったか。
これもズバリ、サービスを嬢まかせにするという職安系の仕組みが、時代遅れだったからだろう。
簡単に言えば、サービスのばらつきが大きすぎたことが問題だった。
その結果、得られるサービスが、多くの客が求めているものと違ってしまったのだ。
よく、アジアンエステの醍醐味は、「曖昧さ」「ハプニング性」にあると言われた。
店や嬢によってサービスの格差があるため、施術の最後まで、何があるか、何が起こるかわからない。
そのわくわく感、ドキドキ感が魅力と言われた。
もう少し言えば、支払った料金に見合うサービスは必ず受けられた上に、料金以上のサービスを受けられる場合があったのだ。
そこがウケた。
職安系の全盛期のころはそれでよかったのかもしれない。
しかし、時代は変わった。
確かに、わくわく感ドキドキ感がアジアンエステの醍醐味であること自体は、否定されない。今でも同じだ。、
ただし、現在は、わくわく感の前に、「安定したサービスありき」が求められる。
最低限、抜きのサービスと多少のお触りが許容されていて、さらにその上に、ハプニングも期待できる、というのが現代のエステ。
そのためには若い嬢でなくても多少はかまわないし、小姐(中国人)でなくても(ベトナム人でもミャンマー人でも)かまわない、というのが、最近の潮流だ。
あくまで一例にすぎないが、神田では、7K~8Kで確実に抜きがある。
それで一世を風靡した。
その神田でさえ、今は閑古鳥が鳴いている店もあるのだ。
神田以上の料金をとって、抜きは必ずしもない、というスタイルは、すでに時代遅れといえよう。
エステに求める客の要求は、年々エスカレートしている。
店が増えてきたのだから、当然のことともいえる。
また、ネットの情報が充実してきたことも、さらに客の要求を高める要因となっていることだろう。
ところが、Komachiは、そのような現代の流れに即していなかった。
相変わらず若い嬢が多かったが、若い嬢の多くは、サービスが期待できない。
年齢の高い嬢の中には緩い嬢もいたが、年齢が高くてもサービスもなく硬い嬢も存在した。
こともあろうに(何を勘違いしているのか)、年齢が高いにもかかわらず、若い嬢と同じ接客しかしない嬢さえいた。
これでは、現代の客は満足しないのだ。
最低限、抜きくらいのサービスはある、最悪でも抜きがないなら、それに代わる何かがある。
それが客の求めていること。
なので、
「若い嬢の中にも多少はサービスのよい嬢がおり、若くない嬢は全員サービスありで、さらなるサービスも期待できる。」が現代の人気店の条件なのだ。
仮に、サービスのない嬢が存在したとしても、そういうのは、愛想がよくて、若くてかわいい初々しい嬢だけ。
単にわかければそれでいいという考えは受け入れられないし、バアアでサービスが悪いなど、論外なわけだ。
【歴史は繰り返す】
少し昔の時代にさかのぼると、
職安系が歌舞伎町近辺に幅を利かせるよりもさらに前の時代、歌舞伎町の周辺には、「台湾式」に分類されるエステ店が主流だった。
舞、優、蘭、陳エステ、オリエント、森森、健!工房・・・。
数多くの台湾式が歌舞伎町およびその周辺の存在した。
※健!工房は、東口に移転。一部職安系の仕組みを取り入れている。
この時代を支配した台湾式エステ店は、職安系によって駆逐された。
台湾式のやり方が時代に合っていなかったからだ。
しかし、今度はその「職安系」が駆逐された。
「職安系」を駆逐したのは、ラブリーハートやアンドGに代表されるような「半風俗系」のエステ店である。
「職安系」よりも確実にサービスのある店が、時代ウケしたのだ。
以前「職安系」が時代遅れの「台湾式」を非主流に押しやったのと同様、今度は、時代遅れの「職安系」は、サービスが確実にある「半風俗系」のエステ店に駆逐されることになった。
歴史は繰り返す、であろう。
【Komachiの最後】
というように、Komachiが閉店に追いやられたのは、時代に乗り遅れたからだと考えらえるが、
Komachiにとどめをさしたのは、同じビル3階のラブリーハート大久保別館(以下、LH別館)だと思う。
LH別館は、Komachi同様に若い嬢が中心の店であり、しかもほとんどサービスが期待できる。
開店当初は苦戦していたLH別館だが、ここにきて客足も伸び、LH本店には及ばないものの、好調だ。
Komachiの客を食っていたのではないかと想像される。
俺は、LH別館が開店した当時、KomachiとLH別館の相乗効果で、どちらの店にも客が増えるだろうと予想した。
しかし現実は予想がはずれた。
どうも、両店の客の食い合いになってKomachiが敗れた、という結果になったようだ。
という「とどめ」の部分は、俺の想像にすぎないが、Komachiの閉店は、時代の流れについていけなかったことが主因であり、歌舞伎町の流れをくむ職安系の店としては、必然のことだったと思う。
Komachiママ、長い間、お疲れ様でした。
(続く)
※次回の記事(最終回)では、Komachiに在籍した有名嬢について記載します。